私たち『大阪市中央卸売市場総合直売協同組合』の歴史

大阪市中央卸売市場の黎明

大正3年、第一次世界大戦が勃発し、その後大正7年、大戦が終結するや否や日本はシベリア出兵を決断したのでありました。これらの時代背景のもと、物の需給バランスが著しく狂い、米の買占めが頻繁に起こり始めてきたのでありました。日本国民の食糧事情は困窮を極めて始め、富山県でおきた米騒動から端を発し、騒動の連鎖が瞬く間に日本全国に広がりました。食料だけではなく様々な品物不足からもたらされる混乱が元に、当時の寺内貫太郎内閣が総辞職してしまったことは歴史の教科書で学習する話であります。大阪市ではシベリア出兵前年の大正6年から物価安定対策の一環として、「公設市場」を議決し、大阪市内の東西南北の4箇所で全国初の公設市場を開設しました。この仕組みはすぐさま全国に広がりを見せたのでありました。しかし、小売市場が開設されても商品を供給する卸売機構が旧来の問屋制度では安定供給が円滑進めることが出来ない実情の課題がありました。また、物不足の時代背景も拍車を掛けてきたのでありました。これらの課題解決策として、大正12年帝国議会は「中央卸売市場法」を制定し、公設による物価の調整を図ろうとしたことを受けて、大阪市では大正13年に中央卸売市場を創設することを市議会で議決し、翌14年にこの地福島区野田の場所に決定し建設に着手したと記録に残っています。

綜直の始まり

福島区野田の地に建設計画がなされ用地買収で混乱し、市場運営での利権争いを収束させ、昭和3年第一期工事としての冷蔵庫が竣工し、いよいよ昭和6年11月午前4時、大阪市中央卸売市場が開業したのであります。開業に際し、旧来の卸売市場とその周辺で営業してきた関連業者(市場に業務に付帯する営業者)は、「大阪市中央卸売市場業務規定」に従って付属営業人として許可され入場したのでありました。この集まりが、現在の綜直の前身であります。当日の入場者は2万人、売上高は27万円余りであったようです。そして、翌月の12月、私たちの組合の前身である「付属営業人」の団体は、「大阪市中央卸売市場付属売店聯合会」として許可されました。市民のための卸売市場として活気付く日々を送りつつ、昭和8年11月「大阪市中央卸売市場附属商組合」として、加盟店社の増加と共に改組し附属機関の充実を推進したのであります。

苦難と発展

昭和9年の室戸台風での市場内の甚大な被害を受け、第二次世界大戦下での戦時配給統制や、国家総動員法下での市場機能の低下、そして昭和20年3月13日大阪大空襲による地獄と化した大阪の町、自然災害や戦争による様々な苦難を必死に乗り越えました。しかしながら終戦を迎えてからも、過度の食料不足からもたらされるハイパーインフレの時代を迎え、幾重にも重なる苦難の波に耐え忍びながら、中央市場は自らの担う使命をしっかりと果たそうと、皆で一丸となってがんばったのでありました。昭和25年ジェーン台風が阪神間に上陸し多大なる水害を蒙る被害を苦難の終着となり、その後の戦後再建の波に乗り、中央市場活性の息吹が充満してきたのでありました。高度成長期に入り、買出しに来ていただくお客様の多様化した商品ニーズを満たし、かつ、私たち組合員の個と全体のさらなるスキルアップを図るため、昭和41年3月佐藤義詮大阪府知事に「中小企業等協同組合設立認可申請書」を提出し、承認後直ちに、設立総会を開催し、設立同意者137名による役員選挙のもとで、「大阪市綜合直場協同組合」が誕生したのでありました。設立趣意書に述べられている背景には、「戦後、我が国は復興期から高度成長期へと移り、社会に本格的に参画して行かないと立ち遅れるという思いがあり、市場内にあっても同様に、附属商組合という任意団体では自ずと限界があり、当時の先駆者たちが結束して今日の組合を興されたことと推察できる。」と記されています。この当時のチャーター役員様の二世の方々も、創始の理念に基づく永続的発展の要になられ現執行部役員として務められています。

飲食組合との合併

時代は平成に移り、任意団体の発起から60年、関連事業者150店社、業種40種、に成長していました。また、当時の飲食業組合も40店の大集団になっていたのでありました。この両組合は業種は違えども市場内での業態が同じであり、より高次な最適を求めて、単独での組合運営よりも合併による運営による補完関係を構築できると判断され、平成4年4月からその実現の運びとなり、現在に至っているのであります。

新市場建設へ

昭和6年に開場して以来、人の命を育む拠点としての役割を果たしてきたのでありますが、発展と共に過密化が進み、効率的な運営をするための場として充分な機能を発揮しづらくなってきたのでありました。場の諸問題を解消すべく、市場用地の有効利用化を図るため、平成元年点在していた事務所施設を集約する「業務管理棟」の建設着工し、竣工後の平成4年には「市場棟」の着工となりました。業務管理棟は、綜直組合員店舗、各店社事務所、大阪市役所などの管理部門、大ホールや貸し会議室などを含めた16階建てのインテリジェントビルとして誕生したのでありました。また、市場棟は、一階を水産関係、三階を野菜関係、屋上を駐車場とする重層構造とし、車社会になった現代の搬出入のあり方に対する円滑化への課題解決を図ったのでありました。これらの、70年目にしての大刷新と共に、平成14年「本場開設70周年・新市場完成記念式典」を開催して祝ったことは記憶に新しい事業であります。

綜合直売協同組合「ごちそう市場」開催

平成18年、私たち綜合直売協同組合は4年前の70周年イベントで体験させていただいた様々な事柄を基盤にして、綜合直売協同組合の手により、中央市場活性化のためのイベントを立ち上げました。このイベントは、平成21年まで4回にわたり継続開催し、平成22年度の「大阪市市民消費者感謝デー」、23年度の「80周年記念市場まつり」へとつながっています。21年度は、ALL大阪で開催された「水都大阪2009」に協力し、朝市とめいうち、市場の隣に完成した中央市場港より市場を出て、中央市場の「新鮮な食材」を、市民の皆様にお届けしました。当初のコンセプトは、働く人々・商う商材・場所と機能、持てる力を遺憾なく発揮させた『食と芸能の融合』として企画させていただきました。活気に満ち溢れていた頃の市場の原風景を21世紀版にアレンジして、市場らしさを感じていただきながら中央市場発大阪文化再発見、ひいては町全体の元気創造をめざしたのであります。中央市場の新鮮食材の販売はもちろんのこと、綜直が誇る飲食の方々が提供する「プロの味市」で食を満喫いただき、広場では「OSAKAダンス一番」と題し、ストリートダンスのライブを展開しました。初回でありながらも5500人の来場を得、テレビやラジオのメディアの取材を受けて将来への継続と発展を予感したのでありました。第二回目以降は、食の祭典と、通も納得する落語会「マイド寄席」で楽しんでいただき、1万人を超えるお客様に御奉仕させていただいています。

本場開設80周年イベント

本場開設80周年。大阪市主催による「市場まつり」が開催され、私たち綜合直売協同組合は、飲食ブースを中心にお客様をお迎えしました。中央市場ならではの品々や、市場の臨場感たっぷりのイベントで、大勢の市民の皆様にお楽しみいただき、中央市場の食の安全・安心を発信することができました。

組合沿革